↑ この日は両翼にAIM-9Pサイドワインダー空対空ミサイルの何と実弾を付けて飛行する姿が、多く見られた。短距離空対空ミサイルAIM-9Pは、有効射程18kmと当時としては長い射程を誇った赤外線誘導ミサイルである。重量は78㎏と軽いので2~3人の整備員で装着する事も可能だった。尚F-1が配備当初は、AIM-9E型を使っていた。
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6th Squadron
Pege-3
第6飛行隊が、F-1戦闘機の運用を開始した1981年から既に7年目になろうとしていた時、私は社命で1987年4月から3年間、島根県の松江市の関連会社に出向となった。三沢基地へは行けなくなったが、島根からは、岩国も北九州も近い。母方の親戚は熊本県と福岡県に集中していたし、父方の親戚は隣りの山口県である。親戚付き合いも在り車を使って九州遠近にも行くことになる。福岡県にある築城基地も住んでいた松江を車で夜出れば、朝方までには到着できる距離であったので、年に数回の連休を利用して遠征をすることにした。初めて出向いた築城基地は、海側の堤防のタキシングポイントが素晴らしく、朝から夕方までこのポイントで撮影する事にした。丁度三沢基地から移動訓練で、何と8sqも来ており、6sqとF-4EJの304sqが朝からひっきりなしに飛行訓練を繰り返していた。304sqのファントムは、実弾フル装備でのタキシング訓練も行っており、撮影する私には、とっても贅沢な時間を頂いたことになった。(2024年2月 記)
↑ 一番最後にF-1に転換した飛行隊だった為、所属するF-1は新しい機体が多かった。上の277号機はF-1の最終生産機に当たる機体。この日は、周防灘から吹き込む風で、R/W-07。目の前をタキシングするF-1は、全て飛行訓練を終えた機体である。こうして見ると最終号機である277号機まで、納入時点では全面風防は3分割であった事が判る。後で判ったのだが、翼端のミサイルAIM-9Pは実弾であった。
↑ 第8ロット(270号機から)から第10ロット生産最終号機70-8277(277号機)までの8機のうち、半分の4機が築城の6Sqに配備されていた。
↑ 同じ場所からR/W07の離陸も捉える事が出来る。F-1は全幅7.88mと細身であった為、セクション(二機編隊)で離陸するケースが多かった。また航空祭では、46m幅の滑走路に3機が横一列に並んで、同時に離陸する事もあった。
↑ 撮影する為には腰高ぐらいの堤防に乗らねばならず、遠望の上は幅も狭い為、転落に注意しながら撮影しなければならない。但しここは、ドラッグシュートを外したり、アーミング解除作業などをする為、色んな角度で狙える絶好の撮影ポイントである。F-1がタキシーしている入り江の反対側も同じような堤防構造で在り、太陽光の具合では堤防の影が真っ黒になる場合がある。